日本語と英語のバイリンガル。しかも即興コント。そんな珍しいショーを開くお笑い団体で活躍する日本人の女性がいる。参加したきっかけは、演劇の道半ばでがんを患ったこと。「元気に活動している姿で何か伝えられたら」。一発勝負の舞台に全力投球する。

日曜夜、恵比寿のパブ。「フラッシュと自撮りはご遠慮ください」とアナウンスが流れ、お笑い団体「パイレーツ・オブ・東京湾」のショーが始まった。

代表のマイク・スタッファーさん(34)らと並び、中村あやさん(33)=中央区=がマイクを手に日本語と英語で会場を盛り上げる。「日本の春と聞いて思い浮かべるものは?」。そう問いかけると、ビールを手にした観客が答えた。「健康診断」「カフン(花粉)、カフン」「何でもかんでも桜風味」

♪健康診断に備えて何も食べずにいたら~おなかくだしちゃった――。観客の答えを使って即興の歌を作るコントだ。中村さんのネタに客席が沸く。日本で暮らす外国人や観光客、英語を学ぶ日本人。様々な客が笑いを通じてつながり、会場が一体感に包まれる。「その場限りの一本勝負。アドレナリンが出ます」

高校卒業後、演劇を学ぶため渡米。大学やミュージカル学校で学んだ。オーディションで手応えを感じるようになり、「スタートラインに立てたかな」と思い始めたころ、体調の異変に気づいた。27歳だった。

子宮頸(けい)がん。かなり進行していた。急きょ帰国し、子宮全摘の手術を受けた。「今まで夢を支えてくれた家族のために、元気にならないと」。必死で治療に耐えた。

翌2010年、ネットの文字に目がとまった。《英語が話せて、舞台に立ちたい人》。できたばかりのお笑い団体がメンバーを募集していた。体力が回復せず、通院以外で外出することはほとんどなかったが、「この機会を逃したら次はない」と一念発起。立っているのがやっとの状態でオーディションを乗り切り、1期生になった。

英語で切り返すだけで精いっぱい。練習もいやだった。でも「こうしたら、もっと笑ってくれるかな」と考え始め、だんだん面白くなった。緊張で眠れなかった最初の舞台。「命を落としていたかもしれない私がなくすものは何もない」と自分に言い聞かせた。「病気になってからは、『自分にはできない』と制限することがなくなった」

他のメンバーに病気のことを告げたのは、3年ほど経ってから。「今なら私を見る目は変わらないかな」と思えた。辞めようと思ったこともあるが、5年経った今、メンバーは家族のような存在だ。現在はフィットネスのインストラクターをしながら、月1回の公演やイベント出演をこなす。

何もなければ、何となく過ぎていく毎日。一発勝負の即興コントの舞台は、そんな日々で「今を生きる」感覚を取り戻す場所でもある。「元気な私の姿を誰かが見るだけでも、何かの役に立つかもしれない。ここにいることに意味があると伝えたい」(仲村和代

記事:http://www.asahi.com/articles/ASJ4G3CY3J4GUTIL00M.html

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